2011年2月8日火曜日

阪急元会長、小林公平氏死去 タカラヅカ発展にも尽力

 阪急電鉄の社長、会長を歴任した元宝塚歌劇団理事長の小林公平(こばやし?こうへい)氏が1日、肺炎のため死去した。82歳。東京都出身。通夜は2日午後7時、葬儀は3日午前11時、兵庫県西宮市高畑町2の25、エテルノ西宮で。いずれも密葬で、後日お別れの会を行う。喪主は長男で阪急阪神ホールディングス取締役、宝塚歌劇団理事長、公一(こういち)氏。

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 小林氏は千代田銀行(現三菱東京UFJ銀行)に勤務し、阪急電鉄の創業者、故小林一三氏の孫と結婚したのを機に阪急不動産に入社。その後、京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に移り、副社長などを経て昭和62年から社長、平成5年から15年まで会長を歴任したほか、関西テレビ放送会長などを務めた。

 他社に先駆けてプリペイドカード方式を導入、現在のICカード化に先鞭(せんべん)をつけた。大阪市北区でホテル阪急インターナショナルをはじめとする大規模開発を進めるとともに、昭和63年にはプロ野球の阪急ブレーブスをリース最大手のオリックスグループに売却するなど事業見直しも進めた。

 宝塚歌劇団の発展に力を注ぎ、昭和49?55年と59?60年の2度にわたり、宝塚歌劇団理事長を務めた。理事長時代に上演した「ベルサイユのばら」が大ヒット。また、平成6年にはフランス?パリ公演など日仏交流を進めた功績で仏政府の芸術文化勲 シャネル 財布 新作
章を受章。14年に勲一等瑞宝章を受章するなどの足跡を残した。

 文化人としても文筆や絵画などに優れ、「公文健」というペンネームで多くの作詞も手掛けた。宝塚歌劇の機関誌『歌劇』には「花の道より」という随想を昭和47年から毎月掲載し、通算450回分は計4冊の本にまとめた。執筆は病床にあっても休むことなく、最新の『歌劇』5月号で453回に上った。

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